ヤンゴン
の続き
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一人でゴールデンロックに行ったのは、実は時間が余ってしまったからでした。
今回の旅は、前回友達になったミャンマー人ガイドの兄ちゃんと再開するのが主目的でした。1年半前にはじめてヤンゴンを訪れたときに丸一日ヤンゴンの街を案内してもらい、最後に家にまで招待してもらいました。少数派のムスリムということもあってか、なかなかに厳しい暮らしでしたが、前向きに頑張る気持ちいい兄ちゃんだったのです。若いころの郷ひろみを精悍にして、もっと黒くした感じのイケメン兄ちゃんでした。
ガイドの傍ら、アウンサンマーケットでヤミ両替の客引きをしていて、つかまった客が自分だったというわけです。両替が終わった後にいっしょにお茶を飲んで、翌日ヤンゴンをガイドしてもらうことになったのでした。
英語はもちろん、日本語もカタコト以上にしっかり話せる(10台の頃に日本人の家に住み込みで働いていたそうです)ので、ガイドとしても頼りになりました。
日本に帰国後も2か月に1度くらいのペースでメールのやりとりをしていて、翌年に再訪のチャンスが訪れました。ヤンゴン行きの飛行機の便名や到着する時刻、泊まるホテルなどを知らせ、到着日か到着翌日に彼がホテルに来る手はずになっていました。ちなみに当時、携帯電話は特権階級だけの持ち物でしたし、彼の家には電話がないので、Gメールだけが通信手段でした。
ところが出発数日前にこちらの都合が悪くなって、急きょ旅行は延期になってしまい、実際にヤンゴンを再訪できたのは3か月後の2013年1月でした。
新しい日程が決まって彼にメールをしても、今度はまったく返信が届かないので「どーしたのかなぁ~」と思いながら飛行機に乗り込んだのです。
で、到着翌日に、アウンサンマーケットに行ったわけです。広いマーケットですが、歩き回れば手掛かりくらい見つかるだろうと思いまして。
ところがどっこい、世の中はそんなに甘くなく、半日くらい人に聞いて回ってほとんどあきらめたときに、ガイドの彼と同じような浅黒い肌の若い男が声をかけてきたのです。宝石商の呼び込みでしたが、その男に探している彼のことを聞いたら、知っていたのです。
「マイフレンド」とのこと。
そうでしょう、そうでしょう、見た感じもやってることも同じようだし、「で、彼はいまどこにいるの?」と聞いたのです。そのために半日つぶしたんだし。すると、
「警察に捕まって刑務所にいる」
「へ?」
「2か月前にイギリス人相手に両替詐欺をやって捕まった」
「両替詐欺?」
「そう。お釣りをごまかしたらバレたね」
「はぁ。。。どれくらい刑務所にいるの?」
「1年は出てこれないね」
という顛末で、突然彼とのつながりが切れてしまったのでした。
帰国後にも何度かメールを送りましたが、結局返信はありませんでした。そもそも字が読めないので(英語も日本語も)、彼の友人を介して、英語でやり取りしていたのです。もしかしたら、その友人とのつながりがなくなってしまったのかも知れませんし、そうなると再び会える可能性もほぼゼロです。なんか切ない。
数年前からミャンマーのニュースがすごく増えました。海外からの投資が殺到してビジネスが大ブームとのこと。
英語と日本語ができる彼なので、読み書きさえできればぜったいに良い仕事につけると思うのです。どっかでがんばっていてくれると良いのですが。
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(訪問時期 2013年1月)