News 妊娠初期に葉物野菜を摂ることの大切さ
BBCのサイトで気になる記事を見つけました。
アフリカのガンビアにあるケネバという街で、人々の出生、結婚、死亡のデータを1940年代から集め続けているイギリスの研究チームが、生まれ月と寿命に関する興味深い発見をしました。
成長して大人になった後の死亡率が、9月生まれの人は6月生まれの人に比べて7倍も高いというのです。
死亡率の差は、実は妊娠したときの天候と、その結果として得られる食べ物の違いが大きく影響しているそうです。
ガンビアはとても明確な気候パターンを持っていて、7月から11月の雨季とそれ以外の乾季にはっきりと分かれているとのこと。
東南アジアあたりの雨季はけっこう晴れ間も現れますが、ガンビアの雨季はほとんどいつも雨が降っているそうです。
乾季はクスクス(小麦粉が原料)や米が主要な食べ物ですが、雨季の間はそれらがあまり食べられず、代わりに豊富な葉物野菜が手に入るのです。
そのため、雨季に身ごもった女性は、乾季に身ごもった女性より多くの葉物野菜を口にすることになります。
研究チームの発見によると、雨季に妊娠した子供たち(妊娠初期に母親が多くの葉物野菜を摂る)は、免疫システムをコントロールする特定の遺伝子の活性がとても高く、さまざまな病気に対する抵抗力も強かったとのこと。
ちなみに、差が表れるのは15歳を過ぎた頃からだそうです。それだけではなく、妊娠期の母親の栄養の偏りは、子供だけでなく、その先の世代にも影響を与えるというから大変なことです。
日本でも、昔の人のほうが野菜を食べていた気がしますし、他人ごとではありませんね。
この研究結果、日本の新聞やテレビで掘り下げてくれるのを期待します。
ヤンゴン
の続き
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一人でゴールデンロックに行ったのは、実は時間が余ってしまったからでした。
今回の旅は、前回友達になったミャンマー人ガイドの兄ちゃんと再開するのが主目的でした。1年半前にはじめてヤンゴンを訪れたときに丸一日ヤンゴンの街を案内してもらい、最後に家にまで招待してもらいました。少数派のムスリムということもあってか、なかなかに厳しい暮らしでしたが、前向きに頑張る気持ちいい兄ちゃんだったのです。若いころの郷ひろみを精悍にして、もっと黒くした感じのイケメン兄ちゃんでした。
ガイドの傍ら、アウンサンマーケットでヤミ両替の客引きをしていて、つかまった客が自分だったというわけです。両替が終わった後にいっしょにお茶を飲んで、翌日ヤンゴンをガイドしてもらうことになったのでした。
英語はもちろん、日本語もカタコト以上にしっかり話せる(10台の頃に日本人の家に住み込みで働いていたそうです)ので、ガイドとしても頼りになりました。
日本に帰国後も2か月に1度くらいのペースでメールのやりとりをしていて、翌年に再訪のチャンスが訪れました。ヤンゴン行きの飛行機の便名や到着する時刻、泊まるホテルなどを知らせ、到着日か到着翌日に彼がホテルに来る手はずになっていました。ちなみに当時、携帯電話は特権階級だけの持ち物でしたし、彼の家には電話がないので、Gメールだけが通信手段でした。
ところが出発数日前にこちらの都合が悪くなって、急きょ旅行は延期になってしまい、実際にヤンゴンを再訪できたのは3か月後の2013年1月でした。
新しい日程が決まって彼にメールをしても、今度はまったく返信が届かないので「どーしたのかなぁ~」と思いながら飛行機に乗り込んだのです。
で、到着翌日に、アウンサンマーケットに行ったわけです。広いマーケットですが、歩き回れば手掛かりくらい見つかるだろうと思いまして。
ところがどっこい、世の中はそんなに甘くなく、半日くらい人に聞いて回ってほとんどあきらめたときに、ガイドの彼と同じような浅黒い肌の若い男が声をかけてきたのです。宝石商の呼び込みでしたが、その男に探している彼のことを聞いたら、知っていたのです。
「マイフレンド」とのこと。
そうでしょう、そうでしょう、見た感じもやってることも同じようだし、「で、彼はいまどこにいるの?」と聞いたのです。そのために半日つぶしたんだし。すると、
「警察に捕まって刑務所にいる」
「へ?」
「2か月前にイギリス人相手に両替詐欺をやって捕まった」
「両替詐欺?」
「そう。お釣りをごまかしたらバレたね」
「はぁ。。。どれくらい刑務所にいるの?」
「1年は出てこれないね」
という顛末で、突然彼とのつながりが切れてしまったのでした。
帰国後にも何度かメールを送りましたが、結局返信はありませんでした。そもそも字が読めないので(英語も日本語も)、彼の友人を介して、英語でやり取りしていたのです。もしかしたら、その友人とのつながりがなくなってしまったのかも知れませんし、そうなると再び会える可能性もほぼゼロです。なんか切ない。
数年前からミャンマーのニュースがすごく増えました。海外からの投資が殺到してビジネスが大ブームとのこと。
英語と日本語ができる彼なので、読み書きさえできればぜったいに良い仕事につけると思うのです。どっかでがんばっていてくれると良いのですが。
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(訪問時期 2013年1月)
奥日光高原ホテル
家族旅行のときはワンコが一緒なので、泊まることができる宿は限られます。
信号無視
日光からの帰り道。日光宇都宮道路の日光入口に向かって一般道を走っていたときのこと。
クルマも少なくすいすいと調子よく走っていて、この先の信号も青、信号通過まであと100メートルを切ったくらいのとき。
赤信号のはずの右側の道から、クルマがするするすると出てきて、えっ? と思っている間に左側へと抜けていきました。
なんというか、別に「暴走」という感じではなく、ただ単に信号まったく見ていません、みたいな雰囲気の自然さでした。
まさか信号が青の交差点でクルマが脇から出てくるとは思わないので、こちらのクルマがあと3, 4秒くらい前を走っていたら完璧に衝突してたと思います。
なんか最近、ぼやっと運転してる人が増えてる気がするのは自分だけ?
全体に高齢化したせいか、昔に比べて乱暴なドライバーはめっきり減った分、ぼんやりと走っている人が増えたような。
東京の自宅の近くでも、信号が完全に目に入っていないんだな、という感じで赤信号を突っ切っていくおじいちゃんを見たことがあります。
あんなのと出合い頭に衝突したんじゃたまんないなと思う一方、いずれ自分もそんなことをしでかすんじゃないかという恐れもあり。
クルマがないと生活できない地方都市ばかりのニッポン。この先、どんどん年寄りドライバーが増えることを考えると、赤信号とクルマを通信させて、赤なら強制的に止まるようなコンピュータ制御も考える必要が出てくるかもしれないと思ったのでした。
その前に、無人運転が実用化されるかもですが。
イタリア大使館別荘記念公園
週末、奥日光に行ってきました。
大雨で栃木や茨城は大変なことになっているし、いろは坂も通行止めになったのでどうなることかと思いましたが、宿に問い合わせたところ、いろは坂も木曜日の朝には復旧したというし、下流域は大変だけど山の上はもう大丈夫だろうと判断して出かけました。
結果、土曜日は晴れ、日曜日も朝のうちは晴れていました。写真は日曜のお昼頃、釣竿を振っているのは自分ではありません。
日光に来たら必ずと言ってよいほど立ち寄るところがあって、そこはイタリア大使館別荘記念公園。
平成9年まで使われていたイタリア大使館の夏季別荘が、整備、公開されているのですが、ロケーションといい、建物といい、中禅寺湖まで上がってきてここに来ないのは本当にもったいないと思います。
駐車場から15分くらい歩くので、比較的人も少ないですし、何より建物の中から眺める中禅寺湖の姿は歩いてくるだけの価値があります。入場料も100円と格安です。
この前に来た時は、館内でお茶を飲む場所はなかったのですが、いつの間にかカフェスペースもできていました。うちは犬連れのため、誰かが外で待ってないといけないので、お茶する時間はとれませんでしたが、時間があればぜひ紅茶でも飲みながら、窓の外の景色をゆっくりと眺めていたいものです。
となりにある英国大使館の元別荘も、来年の公開を目指して工事中でした。こちらは黒い建物。見学できる日が楽しみです。また来る理由ができました。
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内部の様子。
廊下(というかテラス)からの中禅寺湖。曇ってしまって残念。
森の中の建物です。
内も外も、杉の板と皮を張って仕上げられています。
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小雨が降りだしたので、昼過ぎには早々に退散。明治の館で有名なチーズケーキ「ニルヴァーナ」をおみやげに買って、おうちで食べました。ほんのりヨーグルト風味であっさりと美味しかったです。どうして涅槃(ニルヴァーナ)なのかは不明。
切り口がきたないのは自分のせいです。
チャイチィーヨーのゴールデンロック
知り合いのイラストレーターさんから、ミャンマーのお土産をいただきました。
ミャンマー最大の観光スポット、落ちそうで落ちない、ゴールデンロックのミニチュアです。
紙粘土製で軽いです。
バックにしたのは新聞から作られた紙袋。ピントが合ってませんが、ミャンマーの文字は丸っこくてかわいいですね。
彼女(イラストレーターさん)によると、ヤンゴンの町では誰もかれもがスマホをのぞきこんでいたことですが、僕がゴールデンロックを訪れた3年ほど前は、スマホどころか携帯電話を持っている人もほとんど見かけませんでした。
SIMカードがウン十万円とかで売られていて、データ通信を使うととんでもない金額になるので(通話だってほかの国と比べて高額でした)、スマホはWiFiでしか使えないのですが、そのWiFiが使えるホテルやカフェが少なくて、探すのが大変でした。
そのときは2度目のミャンマーで、前回はヤンゴン内をうろついて終わってしまったので、ちょっと足を延ばしてゴールデンロックまで行ったのです。
ゴールデンロックの麓の町キンプンまでは、ヤンゴン郊外のバスターミナルからバスで行けるのですが、バスターミナルまでのタクシー代がもったいなくて、バゴーまで鉄道で行き、そこでヤンゴンから来たバスに乗り換えました。
結果的にはヤンゴンから直接バスで行くより、よっぽど時間がかかってしまったのですが、日本では経験できない船のように大きく揺れる列車に乗って、それはそれで楽しい旅でした。
朝早くににヤンゴン駅を出発して、昼前にバゴーでバスに乗り継ぎ、午後3時頃にはキンプンに到着。途中立ち寄ったドライブインで働く子どもたちの、タナカを塗った顔と、真剣なまなざしが、妙に印象に残っています。
ゴールデンロックには、その日の夕方と、翌日の朝、2回上がりました。
山の上は全体が観光地のようで、なぜか江ノ島を思い出しました。
ゴールデンロックのある山頂部は大きな広場のようになっていますが、反対側にも村があるので、パゴダの敷地に入るときに脱いだ靴は、その場に置かずに持って行くことをお勧めします。山の上にある、なんか不思議な感じの村なんです。そのうち「ミャンマーのマチュピチュ」とかいって観光地化されるんじゃないかしら。
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ヤンゴンからバゴー行、一等の切符。なんと手書きで、名前とパスポートNoも記載されてます(消してます)。
一等はソフトシート。
足元も無駄に広い。
二等車のシートは木製。
バゴー駅(正確にはバスのチケットを買った駅近くのカフェ)から、バスの待合所まで連れて行ってくれたバイクタクシーの運ちゃん。
タナカを塗りたくった少女。キンプン行バスが立ち寄ったドライブインにて。
キンプンからゴールデンロックへ向かうトラック。
手すりもないベンチだけの荷台に人をぎゅうぎゅうに押し込んで、レールのないジェットコースターのように山道をぶっ飛ばします。事故がないのが不思議なくらいです。もみ消されてるだけかも、と思わなくもない。
お坊さんも記念撮影。
ここに限らず、こういうキッチュなものが多いのもミャンマーのおもしろいところかな、と思う。
ゴールデンロックの裏側にある村。天空の村って感じじゃないですか?
訪問時期 2013年1月